不登校って勝ち組よね

祝!2回目の投稿😇

 

(最初に言っておきます。別に学校に行ってる人は負け組だ!なんて言いたいわけじゃないです。クソ眠いのに朝ちゃんと起きて、学校でクソつまらない授業を受けて、クソめんどくさい友達同士の表面上の付き合いもこなしてる人は本当に強いと思います。ああなりたいとは思いませんけど。)

 

不登校だったんですよ。てか今もなんですけど。

14のときだったかな、

陰口言われたか、変なあだ名つけられたか、ハブられたか、、なんだったか忘れたけど、

対人経験の少なさにより強靭なメンタルを築けず、

学校行けなくなっちゃったんですよ。

中学生にもなれば、普通に過ごしてたって陰口のひとつふたつくらい言われるじゃないですか。多感な時期ですし。

だからそういうのにいちいち傷付いてへこむのってほんとに損だなあってずっと思ってるんですが、治らないんですよ。

ああ、もういいや。傷付きたくはないけどあれこれ考えるのもめんどくさいし、行くのやめよ。こうなっちゃうんです。

 

そんな感じで中2の6月くらいから学校に行かず、

3年になってもろくに進学のことも考えず、フラフラ遊び回ってました。

都会大好きでした。特に新宿とか行くのが大好きだったなあ。新宿って憧れません?夜の新宿。

猥雑な喧騒とか、煌びやかだけどどこまでも闇の深い人々と街のネオンとか、燻ったタバコと酒の入り交じった卑俗な匂いとか、あれだけ人で溢れかえって騒がしいのに、ひとりぼっちになったような感覚とか。(ええ、お察しの通り私はだいぶ痛い人です。)

 

とりあえず都会と夜ってのが大好きでしたので、

当時腐るほど時間があった私は

夕方暗くなると、中学生らしくないメイクと服装で家を出て、ひといきれの中副都心線を走る電車に飛び乗って新宿へ向かい、着いたら東口から歌舞伎町へわざとゆっくり歩いて、声を掛けられたら「え?」って少し迷惑そうな顔をして、、、あとはご想像にお任せしますが、ひとつだけ言うともちろん終電で帰る予定なんてありませんでした。

 

まあ、そんな退廃的な毎日でした。

 

朝帰りばかりでした。夜の新宿は最高に楽しいのですが、朝起きても新宿にいるのって結構嫌です。

ホテルを出ると路肩に吐瀉物が平気で散らばってたり、あんなに煌々と光っていたネオンも消え去ってその代わりにイヤに太陽が眩しく輝いていたり、浮ついた服装で街中に蔓延っていたスカウトやキャッチや薬の売人や夜の蝶達も巣穴に戻り、いるのは掃除のおばちゃんやスーツの男性だけだったり。面白くないんですよ。

 

朝電車に揺られて寝床へ帰っている間は、

もう自己嫌悪と母への罪悪感、劣等感でいっぱいでした。

ああ、私何やってんだろうな。ってマスクの下で唇を噛み締めてました。

さらに大嫌いな眩しい日差しが追い打ちをかけてきて、「もう二度と行くもんか」って毎回思うんですけど、

その夜にはやっぱり家を飛び出してしまうんですよ。馬鹿ですね。

都会の街に出るから寂しさを感じるのに、それを都会の街で解消させてしまうっていう。

 

でも、いつだったかな、、、中3になったばかりの頃だったかなあ。それを辞めるきっかけが出来ました。

 

やっぱりそういう遊び方をしてると、「お友達」ってのが出来るんです。何フレンドかは知りませんけど。「お友達」が出来るんですよ、とりあえず。

 

で、そのお友達とね、仲良くなって。

お友達はとにかく私に好かれたいと思うから、(スムーズに「それ」に持ち込めるように)私の趣味を全肯定してくれるんですよ。話も聞いてくれるし、いいねいいねって言ってくれる。腹の中じゃ「サブカル女きめえ」としか思われていないのは火を見るより明らかなんですが、それはそういうもんだと割り切って、こっちだって相手を利用してやろうって思って。

お友達に車出させていろんな所へ連れて行ってもらいました。もちろん夜に。

 

山頂からの星空を見に栃木へ、樹海で死体を探しに山梨へ、モーテルの廃墟を探索しに千葉へ、山でドライブをしに箱根へ、白川郷を見に岐阜へ、、、

他にも大阪、長野、新潟、富山あたりに行ったかな。

元々廃墟が好きだったり、心霊スポットに興味があったり、樹海で死体を探してみたかったり、天体観測が好きだったり、山々が好きだったり、でも都会も好きだったり。もちろんぜーんぶ背景が夜というのが前提です。

どれもこれも趣味がニッチで、とてもじゃないですが普通に中学生やってるときじゃあ叶えることが出来ないような夢ばかりだったんですよ。

でも、不登校になって自由奔放に生きることで、

いつも周りから理解してもらえない、「自分の好きな事」を初めて爆発させることができたんです。

本当にあっという間の1年半でした。人間として感受性を高めることができたし、今の自分のアイデンティティを構築した時間でもあると思っています。

 

しかしこれが正しいことだとは思っていません。

未だに「若気の至りという言葉では済まされないやんちゃをしたな」って思ってます。

こういうのって、バイク乗り回すとか万引きやら薬物やら非行を繰り返すとかカツアゲをするとか髪染めてピアス開けてイキりまくるとか、

そういう「普通のやんちゃ」の仕方ではないじゃないですか。

私は未だに髪を染めたこともないし、ピアスの穴もありません。補導されたことも、警察のお世話になったこともありません。

しかし、危険はいっぱいでした。

たまたま「お友達」が危険な思想を持たない良識のある男性だったと言うだけ、

私が殺されるチャンスなんてのは沢山ありました。

本当に持ち前の運の良さの上に立って生きてるんだなって思います。

(しかし、、、

何度も意見をひっくり返すようで申し訳ないですが、正しいとも思っていませんが

完全な悪行だとも思っていません。

この世は二面性と言いますが、私はそういうことでもないと思ってるんです。実は、正も悪もごちゃ混ぜになってるから、ふたつを一刀両断して相反するものにするのは無理だって。そう思ってます。

この話は長いのでまた別の機会に書きますね。)

 

で、やっとタイトルの話です。

 

不登校ってマイナスイメージしか無いように捉えられがちですが、

自分の好きを突きつめることが出来るっていう特権があるんですよ。

学校に囚われなくていいし、学生という身分に拘らなくていいし、何より周りの同級生を基準にしなくていい。

だから、今もし学校っていう環境が自分に合わないと感じている学生さんがいたら、

学校なんか行かなくてもいいと思います。

その代わり、学校に行かない分自分の好きなことに時間を思い切り費やすこと。

もちろん私のような危険な方法では行わないで欲しいですが(と建前上書かせていただきます。今は厳しい時代なので、こう書かなければいけないようです...。)。

 

 

人よりも学力が劣ってるとか、コミュニケーション能力が備わってないとか、運動神経がない、センスがないって悩んでいる方へ、是非聞いて欲しいです。

最終的に努力ってのは無力な人間に与えられた、それはそれは美しい偶像なんです。

学者は学ぶのが好きだっただけ。プロ野球選手はバットを振るのが好きだっただけ。天才音楽家はピアノを弾くのが好きだっただけ。有名漫画家は絵を描くのが好きだっただけ。小説家はまことしやかな嘘を考えるのが好きだっただけ。

勉強が嫌いなら、人付き合いが嫌いなら、朝起きることが嫌いなら、もう諦めた方がいいんです。努力したってしょうがないですよ。「嫌い」は、どう頑張ったって「普通」にしかなりません。

好きな事を極めた者勝ちです。

 

好きなことをするときの力の強さというのは計り知れません。

だから私は好きなものがない人間を「無力な人間」

と呼びます。

無力な人間は、成功しないことを「努力が足りない」と言います。そう言って、自分のアイデンティティの低さを、自分のオリジナリティの無さを、自分の中での自分が占める割合の低さを、自分の薄っぺらさを、外殻だけ偽ったハリボテのような自分を、ひた隠しにしようとするんです。

 

結局は結果なのです。何がどう因果関係に結びつこうと、それによってより自分らしさを磨くことが出来れば、自分の好きなことをより深く掘り下げることが出来れば、それはもう貴方にとってはなによりも成功なのです。

 

早いうちから自分のあるべき居場所を見つけ、

たったひとりの自分自身を作り上げることのできる人は勝ち組じゃないですか?

その居場所の中にたまたま学校が含まれなかったってだけで。

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。